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2006年6月26日 (月)

ヨガ①

 日曜日の夕方は余程の予定や雨降りでなければヨガ教室に通い始めて半年が過ぎた。

 本当は毎日、もしくは週に2・3回でも通えれば良いのだが、多忙なため週に1回が今の自分には限度である。月謝制ではなく、何回綴りかのチケットを事前に購入し、3ヶ月の期限内に使うという方式なので、今のところ無理なく続けられている。この「無理のない程度」というのが、飽きっぽく、好奇心だけは旺盛でなんでも挑戦するが長続きしないという自分の性格にはぴったりだ。

 以前は日曜日は好きではなかった。休日の最終日という感覚は物悲しい気分がして、あまり積極的に何かをできなかった。私の通うヨガ教室は時間や曜日・ヨガのスタイルを自分で好きなように選択できるが、なんとなく日曜日の夕方に定着してきたた時から、新しい1週間を気持ちよく迎えるための良い切り替えをできる時間になった。ヨガが終わってスーパーでどっさりと食材を買い込み、おいしいご飯を作って熱いお風呂に入り、控えめにおいしいお酒を飲みながら、「世界ウルルン滞在記」を観ながらしばし旅行した気分にだけなる。ヨガが今の自分にとって良い気分転換になった。

 そもそもヨガを始めたきっかけは、ヨガブームが起きる随分前から本格的にヨガに取り組んでいた友人の影響が強い。彼女とはバンコク在住中に知り合い、深い縁のもと未だに友情関係が続いていた。その友人は渡タイ前からヨガをしていて、バンコクのマンションでたまに私にもヨガを教えてくれた。私は体が大変硬く、また高校生の時からの腰痛持ち、そして泣く子も黙る便秘症だ。しばらく彼女の教えてくれたヨガのポーズを、インド音楽やコーランのテープに合わせてやっていたが、そのうちフェイドアウトしてしまった。

 そんな友人がタイの南の島で珊瑚で足に怪我を負い、その怪我が思いのほか悪化してしまい、志半ばで日本への帰国を余儀なくされた。そして日本の病院でも医師に完治は難しく、足をひきずることになるかもしれないと言われたという。彼女は以前通っていたヨガを再会し、精力的にヨガに取り組んだ結果、足はすっかり良くなった。医療行為で治せなかったものが、ヨガで治ったのだ。

 そんな彼女の影響は前から感じ、いつか自分もヨガをしよう、程度に考えていた。そんな矢先、ある日急なめまいで倒れた。倒れたというより平衡感覚を失って立っていられなくなったのだ。慌てて病院にかけこんだのだが、医師の診断では原因不明。その後1週間近く、夕方になるとフラフラと足元がおぼつかなかくなった。また妙に体がだるい、疲れがたまりやすいなどの、更年期障害という年齢ではないが、プチ更年期障害というのか、パソコン仕事が効いたのか、とにかく「なんとなく体の調子が優れない」という日々が続いた。

 漢方など色々と対処は考えたが、どうも体を動かさず座ったままにして何かを飲んだりの行為しか頭に浮かばない自分が情けなくなり一念発起。あちこちのヨガ教室を探した結果、今の教室に辿りついた。

 今は空前のヨガブーム。オウム真理教の事件がある前は、もっと普通にヨガが流行っていあたが、オウムの影響でヨガも下火に。ここ最近のヨガブームの復活はハリウッドのセレブがこぞってダイエットなどに取り入れたことから始まるらしい。オウムの辺り時代はスピリチュアルなものは犬猿されたし、ハリウッド式のヨガブームが始まった最初は、そのハリウッドスタイルのヨガが人気だったらしいが、最近はよりスピリチュアルなものも人気が出てきたらしい。今私が習っているヨガも、丁寧な呼吸法を重視し、ヨガ発祥の地インドの伝統を受け継ぐハタヨガである。

 ヨガで自分がどう変わってきたか・・・。これから少しずつお話したいと思う。

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2006年6月21日 (水)

山の友達

 先日は山で出会った友人達に久しぶりに再会しました。

 もう8年も前になりますが、タイに渡る前にそれまでの都会でのオフィス仕事を辞めて、長野のある山の山頂にある山小屋で、夏の間だけアルバイトした時の友達です。

 その頃の私はとにかく都会でのオフィスワークに疲れていて、もともと東京が好きではなかったので、どうしても東京から脱出したくて、額に汗するガテン仕事を目指して3000m以上もある山の山小屋に向かったのでした。

 そこでのアルバイトは後で思えば、タイ以上にカルチャーショックの連続。凛として澄み渡った空気の中、どこまでも続く峰々を毎日眺めながら、早朝から登山客のために働いたのでした。

 環境の変化もさることながら、そこで出会った人々も私の中で大きなものでした。こうして山に登らなければ出会わなかっただろう人々。高校生から大学生、私のように仕事を辞めて来た人々、山のアルバイトばかり転々としている人、山岳救助隊の人々、看護婦さん、山岳写真家・・・。毎日毎日、人里離れた山の上で時にはぶつかりあいながら、いたわりあいながら、様々な恋愛模様もあり、かなり濃密なひと時でした。

 今回集まったのは、そんな出会いの中で、今でも交流のある数人。そこで出会った山岳写真家の人と私と同じくアルバイトで来ていた女性が結婚し、かわいいお子さんもでき、そして得意の料理を生かしたとっても素敵な居酒屋を福生で営んでいらっしゃる、その店に集まりました。

 あの時の思い出話に花が咲き、それぞれのお互いの人生を多いに語り合い、おいしい手のこんだおいしい男料理に舌鼓を打ち、夜も更けていきました。

 みんな山が大好きで、悩みながらも真面目に人生を生き、何年かぶりに集まっても、そんなお互いにとても共感できるのでした。

 

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2006年6月16日 (金)

インドあれこれ①

何年か前からご紹介を始めたインドのブランドfabindia。まだまだ日本では知る人ぞ知るという感じですが、インド通のお客様からは好評を頂いている。fabindiaは衣類だけでなく、インテリア製品、テキスタイル、オーガニックの食品、最近では自然派化粧品を売り出し中で、私も友人も山のように化粧品を買い込んで愛用している。インテリアもとっても素敵なのでおいおいご紹介できればと思います。華美ではない、素朴な愛らしさと上品さ、そして高い品質がfabindiaの魅力です。インドを訪れる機会があれば是非覗いてみてください。

 「物を買う」という観点から、インドという国を眺めてみる・・・。

 デリーでfabindiaのショップを訪れるといつもバーゲン会場のような賑わいだ。高級住宅街の一角にあるだけあって、周辺はインドの街角の喧騒とは程遠い静けさだが、エアコンが効いて美しい店内は、バーゲン会場さながらに人々が服の取り合いをしている。客はみなさん小奇麗な格好をし、なまりの無い英語を話すような階層の人々だ。fabindiaの服は高い。しかもコットン素材のクルタなどはこれらの人々にとってはほんの普段着だ。インドに通い、物価に慣れた私でもやはり高いと感じる(その分、品質は良いのだが)服を普段着に着る人々だから、お金もちの部類でしょう。店内ではそれらの人々がひしめき、たくさんのクルタをたたむだけの係りの人がいて、棚と棚の間にクルタの山を作り、ひたすらたたんでは棚に戻しているが、たたんでいる側から人々はクルタを広げ、まるめて元に戻すのでぐちゃぐちゃだ。

 扉の前には、この手の高級ショップには常にいる警備員がいる。そして客の荷物を一時預かりする係、クルタをたたむだけの人、いつ訪れてもそこに座って日がな一日会計をしている会計係。インドの階級社会に詳しくないのだが、そこは完全な分業の世界で、与えられた役割だけを黙々とこなす人がいる。心なしか顔つきや服装、物腰の違い、もちろん英語の発音まで、業務の種類によってきっちりと分けられているように感じる。それら業務の中では、お金を扱い、尚且つ客と話す機会のある会計係が一番偉いのか、ある種の尊大さを感じる。このショップに来ると、中流階級以上の人々の中のまた細かい階級の違いを感じることがある。

 インドではバザールの雑貨屋の店主が商品を投げてよこすなんていう行為は普通のことで、サービス精神天国の日本から来ると戸惑うが、それに対しては格別の腹立ちを覚えないのに対して、高級ショップでの打ち解けない尊大さには戸惑い以上の腹立ちを感じることが多々ある。日本人である私は彼らから見るとどのような存在なのか。興味は尽きない。

 所変わって、庶民のバザール。バザール内の雑貨屋などで、いかにも一本気そうなおやじがでんと座ったような店では、客の値踏みをしているのか、最初は何を聞いても素っ気なく、つっけんどんだったりするが、こちらが真剣に本当に欲しい姿勢を見せて食い込んでいくと、まっとうな交渉合戦を繰り広げ、交渉が成立すると「チャイ飲むか」と始まり、商品を買ってから急に座り込んで世間話が始まったりする。チャイ屋の少年が運んできたチャイをおいしくいただきながら、初めて打ち解けたようにひとしきり話に花が咲き、「じゃあまた今度!」と店を出てぶらつきながら、自分が買った商品が全然安い値段で違う店で売られているのに遭遇したりして、自分がだいぶおやじからぼられていることに初めて気づいたりする。

 一本気な店主が実は親しみやすく親切なおやじだった・・・のオチで終わらないところがインドの摩訶不思議というか、面白いところだ。

  高級ショップである種の尊大さを感じつつ、バザールでも人の良いおやじにぼられる。それを興味深く面白いと感じられる人は、インドという国を軽やかに旅できるだろう。私も初インドではいちいち怒り、一喜一憂していたが、「このセオリー通りにいかないところがインドの面白いところだな」と感じ始めた何回目かのインド旅行で、旅がぐっと楽しくなった。

 「インドを好きになる人、嫌いな人、まっぷたつに分かれる」と言われるのは、こういうところが分かれ目かもしれない。

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2006年6月14日 (水)

何かわすれてる??

 朝が苦手です。朝というより午前中が苦手。

 ものすごい勢いでなんの前触れもなく鳴り響く(当然ですが)コーランの目覚ましをかけて、携帯電話の目覚ましを5分ごとにセットして、最初の目覚ましから30分後くらいにようやくベッドから起き上がる。その準備段階がなければきつい。食欲はないが、1日3食を基本としていて、朝、トースト1枚でも食べないと気合が余計に入らないので、呆然としながらパンやご飯を食べる。

 半径1Km以上に行くときはお化粧をする。呆然としながら化粧を施し、都心へ向かうため家を出た。

 家を出た時から何かが気になっていた。しかしその何かが全然わからなくて、それが物なのか、し忘れた行動なのか、家のことなのかわからなくて、またしても呆然と電車の窓を見つめながら、なんとなく今日の自分は何かが足りない気がしてきた。そう、自分自身の何かが足りない。電車の扉にもたれかかりながら、「今日はもうどうでもいい日だ」と急に投げやりな気分になる。

 朝起きてからの自分の行動をおぼろげながら思い出しながら、何故今日はこんなにどうでもいい気分になってきたのか段々わかってきた。

 「ああ、眉毛を描き忘れた」・・・・・・。どうりで化粧をし、髪の毛を梳かしながらのぞいた鏡に映る今日の自分が、相当疲れきってやつれて見えたのかがわかった。

 人のことなど一切見ていない電車内で、私の眉毛に気をとられる人が当然いる訳ではないが、なんだか「何かが欠けた顔をした自分」が急におかしくなって気恥ずかしくなってきた。

 私の顔を見慣れている友人は、すぐに今日の私が何かが違うことを察知した。おいしくランチを食べて、眉毛の無い自分を散々二人で笑って、100円ショップで眉墨を買って、トイレで眉を書き足したら、存在がなくなってしまったかのようだった今日の自分が、急に血が巡りだして生き生きとして、顔にも気持ちにも精気がみなぎった。

 100円ショップは便利ですね。眉毛を取り戻し、本来の自分を100円で取り戻せたことに感謝。

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2006年6月 4日 (日)

ポセイドン・アドベンチャー

 映画ファンだが映画館にはあまり観に行かない。と言えば本当の映画ファンには怒られそうだが、どちらかというとレンタルDVDで出るのを待って、休日においしいご飯やワインを用意してお家でゆっくり観たい性質だ。その上でその映画がとても気に入った場合はDVDを購入して何度も繰り返し観る、これが私のスタイルです。

 さて6月3日公開を迎えた映画「ポセイドン」ではなくブログのタイトルは「ポセイドン・アドベンチャー」である。映画ファンであればこの「ポセイドン」という映画のオリジナルが1970年代にパニック海洋ムービーの先駆けとなった「ポセイドン・アドベンチャー」のリメイクであることは知っているでしょう。私はこのオリジナルの兼ねてからのファンでした。

 先日、たまたまDVDの持ち合わせがなかったこのオリジナルを久々に観たいと思い、夫と観たばかり。その面白さに改めて舌を巻いたところである。その直後、このリメイクブームであるハリウッドでこのオリジナルがリメイクされたことを知り、どうしても観たくなって初めて映画の封切初日に映画館に足を運んだ次第である。

 どの位の人気があるのかわからなかったので、近くのシネコンで余裕を持ってチケットを購入。上映開始10分前に席に着いたところで若干嫌な予感が・・・。観客が少ない・・・。えっ?と狐につままれたように傍観しているとせいぜい30人弱の観客をよそに、このスケールが大きいのだか大きくないのだかわからない映画は始まった。

 まず、最初に、私としてはこのリメイクに過剰な期待は最初から抱いてなかった。オリジナルのリメイク、またはPart2がPart1を越える、というパターンは残念ながら稀である。例えば日本でもこの夏に公開される「ミッションインポッシブル」。Part1はウクライナのキエフを舞台に、どこか昔っぽいクラッシックなスパイ映画の雰囲気を湛えつつペンタゴンに舞台を変えて現代の雰囲気をも併せ持つ。冷戦を迎え、いまさら東欧でもないだろという時代の変遷が設定を難しくしたのか、Part2はトム・クルーズ演じるイーサン・ハントは肉体だけが武器というような感じになり、ただのアクション映画になってしまった。

 そしてこの「ポセイドン」である。ストーリーをご存知ない方に簡単にご説明すると、新年の航海に出た豪華客船ポセイドン号が突然の大津波により転覆。船底に閉じ込められた乗客の一部が脱出を試みるという内容だ。ここでオリジナルが面白く興味深いのは、大部分の乗客達は、船底でおとなしく救助を待つべきだと唱える船長と共にととぞまるが、どこか破天荒なところがある牧師が救助を待たずして海上へ向かって行こうと数人を伴い先導していくというストーリーだ。彼の行動は無謀だと非難を受けるが、彼は神に祈りながら待つのではなく、自分の中の神を信じて諦めずに上を目指そうと皆を励ます。オリジナルの素晴らしさは主人公を牧師にし、狭い船内での死闘というパニック映画の醍醐味と、人間ドラマを重厚に描くことで単なるパニック映画ではなく、何年経っても色あせない心に残る面白さを未だに見せてくれる。

 リメイクの「ポセイドン」はというと・・・。主人公によくわからない元消防士とギャンブラーの男を添え、大多数の人々の選択に反して、何故少数で上を目指すのかという最大の選択の意味を曖昧にして進行するため、醜い争いも含めた「生きる」ことへの執着と、人間のぶつかり合いというのが非常に不透明で共感できない。なるほど、30年以上経って蘇った本作のCGや特殊撮影は相当な迫力で、90分ちょっとという短い時間を更に畳み掛けるとうなアクションの連続で飽きさせはしないが、終わった後の疲れとその割りに感慨が無いという残念な結果に終わってしまった。上映時間を延ばしてでも何故もっと人間自身を掘り下げなかったのかということが一番残念だ。

 最後に教訓が。オリジナルもリメイクも、「ポセイドン」絡みだけでなく、パニック映画内で、女・子供を差し置いて自分が助かろうと奔走する輩というのは早々にひどい死が待っています。「ポセイドン」では決して悪い俳優ではないマット・ディロンの弟ケヴィン・ディロンは女を差し置いて助かろうとしたため、大変まぬけな死に方を余儀なくされてしまいました。男性の皆さん気をつけて!

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